松本麗華(麻原彰晃三女アーチャリー)の母親と生い立ちが壮絶すぎる!兄弟や現在の仕事も調査!

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あの地下鉄サリン事件を起こした

オウム真理教の麻原彰晃死刑囚。

その子供たちはどんな生活を

送ってきたのでしょうか?

 

今回は特に壮絶な生い立ちを経験してきた

松本麗華さん(三女アーチャリー)を中心に

  • 壮絶すぎる生い立ち
  • 母親について
  • 兄弟について
  • 現在の仕事は?
  • 彼氏や結婚している夫は?

などをまとめてみました。

松本麗華(麻原彰晃三女アーチャリー)のプロフィール

名前:松本麗華(まつもとりか)

ホーリーネーム:アーチャリー

生年月日:1983年4月

年齢:35歳(2018年5月時点)

出身地:千葉県船橋市

 

麻原彰晃死刑囚の三女として生まれた

松本麗華さん。

 

ホーリーネームのアーチャリーとは、

教団内で呼ばれていた通称で、

当時はこちらの名前の方が有名でした。

 

壮絶すぎる生い立ちについても

みていきましょう。

 

松本麗華(麻原彰晃三女アーチャリー)の壮絶すぎる生い立ち

1983年4月、

父:松本智津夫(麻原彰晃)と

母:松本知子との間に

生を受けた松本麗華さん。

 

小さい頃はかなり変わった子供だったらしく、

食い意地が張っている(貧しかったから?)
・ヤクルトの自動販売機の前では、「おいしそうだなあ、ほしいなあ」と、じーっと見上げることがあった。
・水泳教室で、「50メートル泳いだらケーキを買ってやるぞ!」と先生に言われ、いつの間にか飛び込み台を蹴って、飛び込んでいた。

とっぴなことを思いついて、行動
・額にカミソリを当て、後頭部に向けてジョリっと髪の毛を剃ってにんまり。
しかし、母親に「幼稚園、どうするの。ああー、恥ずかしいわ!」と言われながら丸坊主に。
・遊び相手をしてもらうために大人の眼鏡を岩陰に隠すものの、隠し場所を忘れてしまう。
・眼鏡をダルマストーブのガードの中に入れてしまう。

引用元:アーチャリーの正体 止まった時計 なぜか書店に並んでいた ネタバレ注意

などのエピソードも。

 

さらに驚きなのが、

一度も小学校に通ったことがないこと。

 

幼少期から家庭教師として、

オウム元幹部の石川公一氏などが

ついていたそうですが、

 

学校と同じような教育が受けられるはずもなく、

  • 9歳時点でひらがなすら読み書きできない
  • 絵本も自分で読めない
  • そんな自分に惨めで不甲斐ない想いを抱えていた

などと、著書

『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』

の中で語っています。

学校に行っていないとはいえ、

普通に大人が教えればひらがなくらい

覚えれそうな気もしますが…。

 

家庭教師代わりがいたとはいえ、

教団のことが優先で

ちゃんとした教育は受けてこられなかった

のではないでしょうか。

 

1988年12月、

たびかさなるインドでの修行などで、

「大乗のヨーガ」を認定され、

その時にホーリーネームとして、

ウーマー・パールヴァティー・アーチャリー

と名付けられました。

 

  • ウーマーとは「光」
  • パールヴァティーは「山の娘」
  • アーチャリーはサンスクリット語が起源の仏教用語

らしいです。

 

1994年6月、

麻原彰晃の体調悪化に伴い、

教団の運営が不安視され始め、

オウム真理教に省庁制が導入。

 

松本麗華さんは

当時わずか11歳にして

法皇庁長官の座につくこととなり、

オウム幹部の一員となりました。

 

1995年3月20日、

地下鉄サリン事件発生。

 

1995年5月16日、

麻原彰晃が首謀者として逮捕。

 

午前10時ころ、警察官らが家族の閉じ込められた部屋へ進入、「麻原を見つけたから靴を出せ」と怒鳴った。警察の誘導だと感じた麗華は「靴なんてないよ。お父さんいないから」と返答すると警察官は「じゃあ、裸足のまま連れて行く」と言った。嘘ではないと察した母・松本知子がサンダルを用意し渡した。警察官3人に令状なしに泣き顔を撮られる。その後、寝るたびに記憶が消えていく現象を経験する。

引用元:wikipedia

 

その翌月、母の松本知子も逮捕され、

他の兄弟は祖父母に引き取られたものの、

松本麗華さんだけは、

教団幹部として取り残されてしまいました。

 

この時、まだ12歳…。

 

学力の低さは、のちのちまで影響する。麻原の逮捕後、彼女は勉強を含め身の回りの世話をしてくれる信者の女性と、福島県のいわき市に移り住む。当時、中学2年であったものの、テストの結果、小学5年への編入が妥当と判断される。本書には彼女の当時の日記も引用されているが、実際、ひらがなだらけである。さらに地域では入学拒否を求める運動を起こされてしまった。

勉強だけではない。彼女はこの時点で、同世代の人間との交流が一切ないのだ。しかも、教団において彼女は高い役職にある正大師であり、信者にとってみれば、悩みを相談し、崇め奉る対象とされている。とてもいびつな関係である。

引用元:http://tocana.jp/2015/03/post_6085_entry_2.html

 

1996年8月24日-10月下旬、

松本麗華さんは

  • 唯一残された正大師としての重圧
  • 逮捕されていく幹部たち
  • 離れていく信者

などの問題から、

教団の引き締めを行うために

観念崩壊セミナーを主催。

 

これはかなり過激なもので、

  • 断食状態からいきなり大量に食べさせ、吐いたらその吐瀉物も食べさせる
  • 1人の信者を複数の信者で罵倒し、精神が壊れるほど責め続ける
  • 血流が悪くなり内臓に支障をきたすほど、足を紐でぎっちりと縛り上げ続ける

など、多種多様な拷問に近い内容を

行なっていたそうです。

 

この観念崩壊セミナーが原因で、

  • 身体障がい者となった信者
  • 両足切断寸前までいった信者
  • 意識不明で倒れた信者
  • 死にかけた信者

などが続出。

 

松本麗華さんも深い罪悪感と、

大きな精神的ショックを受けて家出、

リストカットを繰り返すようになります。

 

小学校だけでなく中学校も

通えなかった松本麗華さん。

 

しかし、のちに通信制の

高校を卒業しています。

 

大学の受験勉強をしながら

1年ほど続けていたという

ミニストップでのコンビニバイトでは、

 

フライデーに報道されてしまったことがキッカケで

シフトが入れなくなり、

辞めざるを得ない状況にもなったそうです。

 

苦難はまだまだ続きます。

 

2003年春、19歳で東京都の

武蔵野大学に合格した松本麗華さん。

 

全く勉強できなかった状態から、

一浪で大学に入れたのは、

きっと並々ならぬ努力があったはず。

 

しかし、武蔵野大学は松本被告の

娘であるという理由で入学を拒否。

 

これはかなりショックだったはず…。

 

松本麗華さんはそれでもめげずに

翌年も大学受験。

 

2004年に

和光大学と文教大学に合格をはたします。

 

しかし、和光大学、文教大学ともに入学を拒否。

 

松本麗華さんはこれを受けて、

東京地裁に地位保全を求める仮処分を申請。

 

入学を取り消す正当な理由はない

と司法判断が下り、

松本麗華さんは文教大学に入学。

 

さらに、入学を拒否した

武蔵野大学と和光大学にも

精神的苦痛を受けたとして

訴えを起こしました。

 

和光大学に関する訴えは認められ、

30万円の賠償を言い渡されています。

 

それから時がたち、

地下鉄サリン事件からちょうど20年目に当たる

2015年3月20日には手記

『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』

を出版しています。

 

こうして見てみると、

松本麗華さんは自身が起こしたことの罪悪感と

世間に叩かれすぎたことによって

逆に芯が強くなっていった印象がありますね。

松本麗華の母親はどんな人物?

松本麗華さんの母親、

松本知子は一体どんな人物だったのでしょうか。

 

名前:松本知子(まつもとともこ)

生年月日:1958年8月17日

年齢:59歳(2018年5月時点)

出身地:千葉県木更津市

ホーリーネーム:マハーマーヤ→ヤソーダラー

松本麗華さんらの母でもあり、

麻原彰晃(松本被告)の妻でもあった松本知子さん。

 

麻原彰晃との出会いは予備校に通っていた時に

隣の席になったことからだったそうです。

 

20代の頃から精神的に不安定になることが多く、

教団にのめり込んで家庭を顧みなくなった

麻原彰晃への不満などもあって、

  • 神経症
  • 対人恐怖症
  • 外出恐怖症
  • 強迫神経症

などを発症。

 

外では愛想よく振る舞うものの、

家の中では些細なことで怒鳴り散らすことも

多かったそうです。

松本麗華の兄弟は?

麻原彰晃(松本被告)には、

実に15人もの子供がいた

と松本麗華さんの著書で語られています。

 

そのうち、

妻の松本知子との子供は

女子4名、男子2名の6名です。

 

長女

1978年生まれで、

教団でのホーリーネームはドゥルガー

過去にスーパーで万引き逮捕歴あり

 

やはり教団が勢いを持つまでは

貧しい生活だったことが

影響しているのでしょうか。

 

教団での地位は正悟師で、

流通監視省大臣でもありました。

 

次女:松本宇未(仮名)

1981年生まれ

教団でのホーリーネームはカーリー。

 

2000年には茨木県で

長女と長男が暮らしている中、

信者達と乗り込み長男を連れ去る事件を

起こしています。

この時は逮捕され、

保護観察処分の身に。

 

現在はかなりの頻度でTwitterを更新。

自身の考えを積極的に発信していて、

フォロワーとの交流も

盛んにされています。

 

四女:松本聡香(仮名)

松本聡香(さとか)というペンネームで活動。

1989年生まれ。

学校から転入拒否をされたり、

校長から

「父親の所行を考慮すれば

貴方は死んでも仕方のない人間だ」

と発言されるなど、暗い過去も。

 

両親とはできる限り縁を切りたい

という考えのもと、

自分が死んでも両親に財産を渡さないように

家庭裁判所に申し立て、認められています。

 

2010年には、

「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」

という本を出版。

 

他兄弟ともできる限り

関わりを持たずほぼ絶縁状態。

 

野宿やネカフェに泊まるような

生活を続けていたそうです。

 

長男

1992年生まれ。

教団から皇子の称号を与えられるも、

四女と同じく学校に通えない

状態が続いていたそうです。

 

2001年からは学校に受け入れてもらえて、

通学も普通にしていたそうです。

 

他の兄弟に比べると

世間に受けれてもらえた人物で、

友人もいたそうです。

 

現在は次女と三女:麗華さんと

暮らしています。

 

次男

1994年生まれ。

生まれてすぐに皇子の称号を与えられ、

事件当時はまだ1歳でした。

 

春日部共栄中学校に合格するものの

麻原彰晃の息子ということで

入学を拒否された過去も。

 

のちに精神的苦痛を受けたとして、

損害賠償を求める訴えも起こしています。

 

現在は母親の松本知子と

暮らしているそうです。

松本麗華は現在どんな仕事をしている?

文教大学では臨床心理学科を卒業している

松本麗華さん。

 

現在は本の著者としてだけでなく、

クリニックでのアルバイト、

カウンセラーとしても活動されているようです。

 

次女の宇未さん同様、

Twitterアカウントも持っていて、

積極的に自身の思いも発信されています。

 

彼氏や結婚している夫はいる?

松本麗華さんについて、

現在彼氏や結婚している夫の

情報はないようですね。

 

どうしても結婚となると

ハードルが上がってしまうところが

あるようです。

 

それは麻原彰晃の娘だから

というよりは、

家庭で罵り合っている2人を見て育ったことで、

結婚って大変だな

という想いが芽生えてしまったんだとか。

まとめ

  • 麻原彰晃の三女:松本麗華
  • 小学・中学と通えず、9歳になってもひらがなの読み書きができないほどだった
  • 11歳の若さで教団幹部に
  • アルバイトでシフトを入れてもらえなくなったり、大学に入学拒否された過去を持つ
  • 母親の松本知子は怒りっぽくて精神的に不安定な人物だった
  • 共に暮らしている兄弟もいれば、絶縁状態の兄弟もいる
  • 現在は本の著者、クリニックでのアルバイト、カウンセラーとして活動

 

育ってきた家庭環境が

あまりにも特殊すぎますね…。

 

もちろん、親のやったことは

決して許されることではありませんが、

誰しも親を選べるわけではありません。

 

その子供だからという理由だけで

人格すべてが否定されてしまうのも

おかしな話です。

 

事前情報の色眼鏡で全てを判断することなく、

シンプルにその人の人となりだけを判断する

社会になっていくのが

理想なのではないでしょうか。

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