硬いアスファルトの中、
四つん這いでタスキを渡しきったことで
大きな波紋を呼んでいる岩谷産業の
飯田怜選手
血だらけの膝がなんとも痛々しかった…。
- 監督は途中棄権させなかったのか!?
- 何をしてたんだ!
という声もネットでは見受けられますね。
さて、そんな岩谷産業の陸上部監督が
廣瀬永和さんです。
今回は、廣瀬永和さんが
一体どんな人物なのか、
- 廣瀬永和(岩谷産業駅伝監督)のプロフィール
- 廣瀬永和(岩谷産業駅伝監督)の学歴・出身高校と大学
- 廣瀬永和(岩谷産業駅伝監督)の経歴
- 飯田怜選手を棄権させなかった理由は?
- 結婚している妻(嫁)や子供はいる?
などを調べてまとめてみました。
目次
廣瀬永和(岩谷産業駅伝監督)のプロフィール
【丸亀国際ハーフ・スタート前の光景4】
2017年4月に創部した岩谷産業の今田麻里絵選手と廣瀬永和監督。今田選手は高橋尚子さんにかなり似ていて、走っていて間違えられたこともあるそうです。以前はシスメックスに在籍していて、野口みずきさんを育てた藤田&廣瀬師弟が指導していました pic.twitter.com/4Vg5WyyP0W— 寺田的陸上競技WEB (@rikujouterada) 2018年2月4日
名前:廣瀬永和
年齢:53歳(2018年時点)
生年月日:1965年7月16日生まれ
出身地:兵庫県
廣瀬永和(岩谷産業駅伝監督)の学歴・出身高校と大学
兵庫県で生まれた廣瀬永和監督。
地元の西脇工業高校
を卒業されています。
その後、
立命館大学に進学して
卒業されているようです。
立命館といえば、
男子・女子ともに
陸上と駅伝の名門校ですよね。
廣瀬永和監督もきっと
学生時代は選手として活躍していたのでしょう。
廣瀬永和(岩谷産業駅伝監督)の経歴
廣瀬永和監督はこれまで
長年に渡って数々の有名企業で
指導者として活躍されてきました。
1991年4月〜:株式会社ワコールに入社 女子陸上部コーチに
1993年3月〜:グローバリー株式会社に入社 陸上競技部コーチに
2005年12月〜:シスメックス株式会社に入社 女子陸上競技部コーチに
2009年10月〜:シスメックス株式会社 女子陸上競技部 副監督に
2010年10月〜:シスメックス株式会社 女子陸上競技部 監督に
2013年4月〜:シスメックス株式会社 女子陸上競技部 総監督
2016年6月〜:岩谷産業株式会社に入社 陸上競技部 監督
最初にコーチとなったのは
25歳の時のようですね。
そこからコーチ、副監督、監督と
着実に指導者としての実績を
積んでこられています。
さらに、今まで廣瀬永和監督が育てた
もっとも有名な選手が…
野口みずき選手です!
【陸上】岩谷産業が陸上部を創部、監督に広瀬永和氏 アテネ金の野口みずきさんを指導 – 産経ニュース https://t.co/K1UcKl9JOF @Sankei_newsさんから pic.twitter.com/oUr81UF33b
— 産経ニュースWEST (@SankeiNews_WEST) 2016年7月15日
野口みずき選手といえば
2004年のアテネ五輪で
金メダルを獲得したマラソンランナー。
そんな野口みずき選手は
- 身長150センチ
- 体重41キログラム
という小柄な体型でした。
野口みずき選手に対して
廣瀬永和監督が重点的に指導したのは
- 大きなストライド(歩幅)を支えるために全身の筋力強化
- 強いメンタルを構築する
など。
その指導の結果が
オリンピックで金メダルだったのですから、
廣瀬永和監督の指導者としての力は
絶大なのでしょうね!
飯田怜選手を棄権させなかった理由は?
2018年10月21日に行われた女子駅伝
その中で廣瀬永和監督が指導している
岩谷産業の2区:飯田怜選手は
残り200mのところで走れない状態に。
女子駅伝
岩谷産業の第2区・飯田怜(19)が残り約200mで走ることができなくなり、四つんばいになって第2中継所の勝浦浜を目指すアクシデント参加27位チーム中最下位となったが、そこから一丸となって盛り返し、チームは21位でフィニッシュhttps://t.co/nwhvZ01gIGpic.twitter.com/85YuSBYwfq
— ༼≖ɷ≖༽ く寿司 🐋 (@SushiCujira) 2018年10月21日
そこから飯田怜選手は、
なんと四つん這いになりながら
必死でタスキを繋げました。
もの凄い根性…
右脛骨(けいこつ)を骨折していたそうです…。
こんな状況の中、
廣瀬永和監督はなぜ止めなかったのか?
…いや、
実は止めていたのです!
その場で大会主催者側に
棄権の意思を伝えていたという
廣瀬永和監督。
しかし、ゴタゴタの中
意思疎通がうまくいってなかったようで…。
結局タスキを繋げるまで
続行させる形になってしまっていたのです。
また、個人種目と違って、
次の走者にタスキを繋げなくてはならない
駅伝という競技ですから、
飯田怜選手自身に
- 「あと少しの距離だから次に繋げなくては」
- 「これ以上迷惑をかけれない」
という強い想いもあったのでしょう。
今回の事態は致し方なかった
と言えるのではないでしょうか。
結婚している妻(嫁)や子供はいる?
すでに50代の廣瀬永和監督ですが、
結婚している奥さんや子供さんの情報は
出てきませんでした。
もしかしたら指導に忙しく、
まだ独身でいらっしゃるのかもしれませんね。
まとめ
- 女子駅伝で負傷し四つん這いでタスキを繋いだ岩谷産業の飯田怜選手
- 監督は野口みずきなどを育てた廣瀬永和監督
- 地元兵庫の西脇工業高校→立命館大学
- 数々の有名企業で陸上指導者を務めてきた
- 棄権の意思を主催側に伝えていたがうまく意思疎通ができていなかった
- 結婚している妻や子供の情報は見つからず
スポーツは本当に
何が起こるか分かりませんね〜。
急なアクシデントに対応できる用意が
いかなる時でも必要なのでしょう。
飯田怜選手が1日でも早く復帰できるよう、
廣瀬永和監督に
サポートしていただきたいですね!
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