小出義雄監督に娘や妻(嫁)はいる?高橋尚子(Qちゃん)のコメントや葬儀やお別れの会についても調査

シドニーオリンピックで金メダリストを獲得した高橋尚子選手の指導者であり、女子マラソン界の立役者として活躍されていた小出義雄さんが先日亡くなられました。

 

その指導法や言葉のメッセージ性が世間を騒がせ、著書になるほどの人格者の一人です。

 

小出監督を悼む声が多く聞かれますので、これまでの人生について振り返り、亡くなった反響についても調査していきます。

 

小出義雄監督のプロフィール

名前:小出 義雄(こいで よしお)

国籍:日本(JAPAN)

生年月日:1939年4月15日

没年月日:2019年4月24日(80歳没)

出身地:千葉県佐倉市

競技:長距離・マラソン指導者

 

大きなサングラスをかけ、いつもきちんとした格好をしている姿が印象的です。

 

白髪まじりの髪と長いひげは長老を連想させ、優しさがカラダからあふれているようです。

 

しかし、大のお酒好きのため、顔を赤くしてインタビューを受けるなど失態もしばしば見られました。

 

それでも持ち前の明るさと人望の厚さは多くの選手やスタッフを魅了し、数々の名選手を輩出しました。

 

小出義雄監督の経歴

高校卒業後に、順天堂大学に入学して箱根駅伝に3年連続で出場しました。

 

自らもインカレやマラソン大会に出場しては、好タイムを出していたみたいですね。

 

大学卒業後はプロには進まず高校の教諭となり、陸上部の指導を熱心に行っています。

 

ほめて育てるという特徴的な育成方法が有名です。叱る、アドバイスをすることよりも、一人一人にあった指導が大切であるとインタビューで話しています。

 

その数年後に指導力が実業団の目に止まり、1988年から社会人を指導します。また自らもアスリート教育のために佐倉アスリートクラブを設立し、指導者兼代表取締役として陸上界に貢献されています。

 

2019年3月末に指導者を現役引退し、翌月にお亡くなりになりました。

 

小出義雄監督の患っていた病気

報道されている死因としては、肺炎が挙げられています。2019年3月に入ってから体調を崩し、一時は危篤状態から回復の兆しが見られましたが容体が急変したようです。

 

元々、心臓にペースメーカーは入っていたり、肝臓・腎臓にも疾患が見られたため、カラダは思わしくない状態が続いていたみたいです。

 

死期直前になっても教え子などに連絡を取る姿は、人徳の深さだと伺えます。

 

小出義雄監督の訃報に高橋尚子の反応は?

弔問に訪れた高橋尚子さんは「今までの御礼と一緒に歩んできた思い出をお話させていただきました。」と涙ながら語ったようです。

 

小出監督の入院中、頻繁に手紙のやり取りやお見舞いを行っていただけにそのショックは計り知れないものであると思います。死期には電話で感謝の言葉を伝えられて、涙が止まらなかったそうです。

 

マラソンの恩師であり、尊敬できる人生の師匠の旅立ちをまだ受け入れることは難しいようです。

 

小出義雄監督の家族、娘や妻(嫁)は?

小出監督の奥様は実は元教え子です。千葉県の陸上部だったときの生徒であり、年の差は12個あります。

 

まるでドラマのようなロマンティックな展開にちょっとうらやましいですよね。

 

結婚後には3人の娘さんが生まれ、家族5人明るい家庭だったみたいですね。

 

3人姉妹のうち、次女と三女は陸上選手で活躍をされていました。

その後、どちらかはお父さんのように体育の先生になられたみたいです。きっと厚い指導をしてくれる先生でしょうね。

 

小出義雄監督の残した名言

数々の名言を残している小出監督の名言を紹介します。

 

「一度しかない人生、楽しまなければ損だ」

 

「成功できるかな?ではだめなんだ。何が何でも成功するんだ、という信念があってはじめて成功するんだ」

 

「他の人と比較するんじゃないよ。比較しちゃ絶対ダメだよ。いつでも、自分が今よりも強くなることを考えなさい」

 

「太陽も、月も、自分を疑ったとしたら、その瞬間に光を失うだろう」

 

「苦しい顔はしてもいいけど、いやな顔はするなよ」

 

この他にもインタビューや本を含め、多くのメッセージを残されています。

 

小出義雄監督の葬儀や告別式、お別れ会の予定は?

現在の段階でわかっているのは通夜は28日午後5時から、葬儀は29日午前9時から行われるということです。

 

喪主は妻である啓子さんがつとめるみたいです。

 

指導者としても有名な小出監督なので、お別れ会が行われる可能性はありますが現在はわかりませんでした。

 

一般的には1~2か月後におこなわれることが多いので、来月以降になるかもしれませんね。

まとめ

平成最後の週に舞い込んだ訃報に多くの人が驚くばかりです。
名指導者であり、その人柄は尊敬を集める存在であったことは間違いありません。
長い人生お疲れさまでした。ご冥福をお祈りします。

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